令和元年度外務大臣表彰受賞者の発表
令和元年7月22日
このたび,令和元年度の外務大臣表彰受賞者が決定しました。
外務省ホームページ:https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007608.html
アルゼンチンからは以下の16の個人・団体が受賞者となっております。
なお,新沢ミゲル氏及び北山朝徳氏につきましては,既にご逝去されていますが,生前の功績に鑑み,以下の日付で本表彰を受賞されております。
(順不同)
外務省ホームページ:https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007608.html
アルゼンチンからは以下の16の個人・団体が受賞者となっております。
なお,新沢ミゲル氏及び北山朝徳氏につきましては,既にご逝去されていますが,生前の功績に鑑み,以下の日付で本表彰を受賞されております。
(順不同)
| お名前 | 肩書き | 功績概要 | 受賞日 |
| らぷらた報知(団体) | 同紙は,アルゼンチンでメディアがまだ発達していない1948年,徐々に増えつつあった日本人移住者向けに日本語で週間新聞を創刊。日々起こるニュースのみならず,各国日系人社会の話題等も掲載するなど多くの情報をもたらした。この新聞はブエノスアイレス市内にとどまらず,広大なアルゼンチン各地で農業等に従事していた多くの邦人にとって,長年にわたり欠くべからざる情報源の役割を果たしており,近年では,日本大使館の領事業務や広報文化行事記事の掲載等,当地日系社会の回覧板的な役割も担っている。 | 7月23日 | |
| 新沢 ミゲル | 在亜鹿児島県人会会長 | 在亜日系団体連合会(FANA)の幹事を務め,会長の右腕として秋篠宮同妃殿下来訪,安倍総理来訪,日亜修好120年祭等の諸行事を滞りなく運営し,日亜友好親善に大きく貢献。また,同人は在亜鹿児島県人会長として,世界の鹿児島県人会との絆の強化を推進。更に同人は,NGO日系ソリダリア創立者の一人として福祉事業に携わり,在亜日本人会では高齢者福祉部門を設立し,弱者に対する支援を継続。なお,長年,アルゼンチン陸軍騎馬隊獣医として勤務した経験から,同国軍部での評価も高い。 | 4月26日 |
| 北山 朝徳 | トーシン社代表取締役 | 大学卒業後,アルゼンチンに渡航し,1976年に東進を自ら起業し約50年間に渡って同地で活躍する傍ら,日系婦人会と共にボランティア活動を通して,日本文化・日本語の普及活動を実施。また,2011年の東日本大震災の際には被災者を励ますため被災地に13,500羽の千羽鶴と1,780の短冊メッセージを送る等,草の根活動を通じた両国をつなぐ民間交流を実施。更に,日本サッカー協会のアルゼンチンとの窓口としてアルゼンチンサッカー協会及び南米サッカー連盟との仲介役も務め,両地域のサッカー交流の架け橋としても活躍された。 | 6月18日 |
| 山本 美佐子 | 沖縄伝統舞踊講師 | 和歌山県に生まれ,9歳時に沖縄へ転住。以降,琉球舞踊を習得し,数々の賞を受賞。1957年にアルゼンチン移住後,今日まで500名以上に琉球舞踊を指導してきており,日本文化の普及に寄与してきた。また,1999年に琉球舞踊グループである「円の会」アルゼンチン支部を結成し,日本文化を幅広く広報する秋の祭りやパレード等の大型イベントに参加するなど,日アルゼンチンの友好関係に大きく貢献している。 | 7月23日 |
| 永田 政子 | 薬局「ミタムラ」経営(薬剤師) | 1954年,両親とともにアルゼンチンに8歳で移住。1965年より現在まで,ブルサコ日本人会を中心に日系子弟に日本舞踊を教えており,日本文化の普及に寄与。また,1963年,イリア元大統領の招待でコルドバ市で日本舞踊公演を行なったことをはじめ,同国各都市や隣国ウルグアイにて数多くの公演を実施。在亜日系団体連合会が毎年主催する日本舞踊発表会にはブルサコ日本人会代表として参加するなど,日本舞踊を通じた対日理解の促進に大きく貢献している。 | 7月23日 |
| 塚田 ミサ子 | 元メルロ日本語学校教師 | 1966年にアルゼンチンに移住後,メルロ日本語学校の教師として37年間,マルコス・パス日本語学校の教師として16年間,同国における日本語教育に携わり,多くの日系人・非日系人の日本語教育振興に心血を注いだ。高齢となった現在も,無償ボランティアで日本語の教育を進めている。また,短歌の会や,朗読大会等を開催し,日本文化の振興にも努めた他,メルロ日本語学校の卒業生名簿,学校要覧,記念誌の発行等,日本人移住の歴史を記録した貴重な資料の発行にも尽力した。 | 7月23日 |
| 仲間 ビセンテ | 前ブルサコ日本人会会長 | ブルサコ日本語学園維持会役員,ブルサコ日本人会長,在亜宜野座村人会長,在亜日系団体連合会(FANA)会計などアルゼンチンの各日系団体役員として長年貢献した。特に在亜宜野座村人会では,市町村研修では世界初の研修生制度を開始するため尽力した。ブルサコ日本人会では,ブルサコ祭,バザー,日本語教育を通じ,地域社会との交流を深め,日系社会の発展と日亜友好親善に貢献。また自分の専門分野である農業技術者として,アルゼンチンのみならず、近隣国でも指導を行い農業の発展に貢献した。 | 7月23日 |
| 小池 ウンベルト英明 | 元エスコバル日本人会長 | 長くエスコバル日本人会の幹部を務め,2度の会長就任時,他の日本人会や地元関係当局との交流を活発にし,同日本人会を活性化させた。また,在亜茨城県人会長職として,特に小学生のホームステイ制度や青年の留学生受け入れ制度を整える等,青少年対策に尽力した。更に,在亜日系野球協会に於いては,青少年にチームワーク精神を重視した指導を自ら行う等,青少年の育成とスポーツ精神に則った運営が評価されており,平成2年にはアルゼンチン政府スポーツ省よりオリンピア章を贈られている。 | 7月23日 |
| ルイス・マリア・ロぺス・デル・カリル | 弁護士 | 弁護士資格取得後,多くの日系企業等の顧問弁護士を務めていた父親より日本国大使館,JICA,日本航空の担当を譲り受ける。以来,日本の公的機関・民間企業の顧問弁護士を務め,訴訟問題等を解決に導くなど,日系企業の進出に大きく貢献している。1973年に初来日後,1977年には富士通アルゼンチンの取締役に抜擢された。1989年には日亜関係を主題とする「デキル」という本を出版し,亜国内での日本の業績を紹介するなど,両国の経済関係発展に尽力している。 | 7月23日 |
| 宮里 昌利 | アルゼンチン沖縄小林流空手道志道館宮里道場館長 | 4歳時にアルゼンチンに移住。幼少の頃から初代館長の父親から空手家としての英才教育を受け,特に日本武道の最も重要な礼節に基づく精神面の鍛錬を主眼とした空手指導を受けて大成した。空手道場も「学校」と称して今年で60周年を迎える。スペイン語と日本語に堪能な同人と父との二人三脚により,アルゼンチン及び世界に広く沖縄松林流志道館の空手道を普及させた。世界各地にある小林流支部道場の拠点として,同人の功績は高く評価されている。 | 7月23日 |
| ステラ・マリス 増田 | 弁護士(調停専門家) | 西部日本人会理事,在亜日系団体連合会(FANA)理事会では副会計を務めている。また,弁護士として専門の法律分野に於いて長期に亘り活躍し,地元モロン市ではモロン弁護士協会会員として、青少年犯罪防止や犯罪の原因究明委員として活躍。家族内暴力,特に夫婦間暴力の問題解決を図り,被害者女性の擁護に尽力している。平成15年,パンアメリカン日系弁護士協会の設立委員,現在も理事として,特に社会経済的に脆弱な日系人の弁護にあたり日系社会に貢献している。 | 7月23日 |
| アルフレッド・ロベルト玉城 | サルミエント日本人会会長 | 1988以後,アルゼンチン・ホセ・セ・パス文化協会の青年部幹部,日本語学校維持会会長として,同地の日系社会に貢献。また,平成12年からサルミエント日本人会会長を務め,毎年サルミエント盆踊り・芸能祭・歌祭を主催している。平成30年にはブエノスアイレス市内の劇場を貸切り,第50回サルミエント歌祭を実施。歌手70名,観客900名が参加した。また,平成31年の第17回サルミエント芸能祭・盆踊りは約五千名が来場し,NHKによるテレビ撮影が行われるなど,大きく発展している。 | 7月23日 |
| フェルナンド・フアン上原 | フロレンシオ・バレーラ日本人会長 | 1996年から2014年までフロレンシオ・バレーラ日本語学校理事を務め,日系・非日系問わず生徒の増加に尽力し,アルゼンチンにおける日本語普及に貢献した。また,2010年からバレーラ祭りがスタートしたが,2014年,同人が会長に就任。同祭りの収益金の一部を地域の学校・病院等に寄贈している。更に同人は,青年部・婦人部・敬老部などの組織をそのリーダーシップで活性化させ,バレーラ日本人会をアルゼンチンで最も活動的な日本人会の一つにすることに貢献した。 | 7月23日 |
| オラシオ 加賀美 | 元アルゼンチン・セントロ・ニッケイ会長 | アルゼンチン・セントロ・ニッケイ(日系人青年の組織)設立者の1人として,日系人指導者育成に貢献した。特に,セントロ・ニッケイ内で諸外国交流に興味を持つ青年を召集し,各国とのネットワーク強化を図ると共に,日本で研修を受けるメンバーを選考,日本大使館やJICA等の機関に推薦し,多くの日系人リーダーの輩出に多大な貢献をした。また,パンアメリカン日系人リーダー達との友好親善に尽力し,各国における日系人の活動を学ぶと共に,アルゼンチンの日系人の指導に努めている。 | 7月23日 |
| 松之下 実 | 元在亜ガルアペ日本人会会長 | 1963年にアルゼンチン・ガルアペーに入植以来,ガルアペ日本人会の役職を歴任し,移住地の道路改修工事,電気工事等のインフラ整備に多大なる尽力をした。また,ガルアペ日本人会会館用地として私有地約1ヘクタールを寄贈したが,好立地であったことにより,運動会や盆踊り等の諸行事には会員・日系人のみならず,近隣の現地住民も多数参加し盛況を博している。これら,同地における在留邦人福祉と日亜住民の交流,日本文化の普及は同氏の功績によるところが大きい。 | 7月23日 |
| 柏木 光男 | 元マルコスパス日本人会会長 | 1970年にアルゼンチン・マルコバス移住地に入植。1977年に同地に日本人会創立以来,会長等役職を歴任。移住地のアスファルト道路工事のため政府との交渉に尽力し,移住地の道路舗装を実現した。また,マルコスパス日本語学校では1979年より13年間会長を,2年間幹事を務め,日本語学校の基礎作りに貢献している。その他,日系農業団体協議会,在亜日本語教育連合会,在亜神奈川県人会等でも会長等の役職を歴任するなど,在留邦人福祉に多大な貢献を行っている。 | 7月23日 |
(了)